素晴らしい日本人に聞くシリーズ
第四章 日本人の感性をグローバル化社会で活かす
藤原: 今、グローバル化が進む中、風土に根ざした日本人の感性を国際的に活かすとしたら、どのように考えたらよろしいでしょうか?
田尻惠保様: 例えば、バブルの時代に三菱不動産がロックフェラーセンタービルを買い占めた時、ものすごいバッシングに合いました。ソニーがCBSを買収した時も大変でした。
ところが、日本の相撲界を見てください。横綱はしめ縄をされている、つまりはご神体ということです。
その横綱に外国人がなっても日本人は受け入れるのです。これはすごいことだと思います。
藤原: たしかにおっしゃる通りですね。
相撲は、国技とも言われますので、その頂点に立つ横綱に外国人がなるということ、それを受け入れるのは、本当は大変に懐が深いことと思います。
スポーツとしてみれば、強い人がチャンピオンになるのは当然ですが、国技として「心技体(しんぎたい)」がそろって優秀な人を横綱とするわけですから。
田尻惠保様: 日本の国体を表すと言われている「さざれ石」
細かい石が集まって一つの岩になったものです。これが全国各地の神社で飾られています。
ユーラシア大陸の東端に位置するわが国には、古来から様々な民族が来島してきた歴史があります。
そのさまざまな部族は「さざれ石」のように一つ一つが違う個性を持ちながら、一つの岩のようになり日本民族となっています。これを日本の象徴としているのです。
(霧島神宮のさざれ石)
藤原: 国家、君が代の中にもさざれ石の巌となりて、苔のむすまでという歌詞がありますね。
一人ひとりは、別々の個性を持っていても、それが一つにまとまり岩となる。一人ひとりの力は弱いけれど、皆の心が一つになった時に金剛の如くに強くなる。
日本人だけでなく、人類は本来そうあるべきですし、さざれ石の考えはこれからの世界に大きく貢献していかれることですね。
田尻惠保様: 日本的な考え方、ものの見方というのは「言挙げせず」で、言葉にはしないで古来より伝えられてきました。
「神道」という体系ができたのは、外国文化に接した時なのです。
例えば、唐の統治制度を参照し「大宝律令」の作られた時代。また開国になって欧米の文化がどっと入ってきた時から現代まで伊勢神宮を頂点とする国家神道的な体系がつくられました。
この明治5年の神道令により諏訪大社の78代続いた神長官家・守矢家に伝えられている一子相伝の「ミシャクジ神」の祭祀が途絶えることになりました。
かくして、日本全国の縄文からの伝統的な祭祀は一切途絶えてしまいました。
藤原: 「言挙げせず」という習慣は、国際的には誤解を招くこともあるかもしれませんが、言葉にならない部分を受け取れる感性は、これからも大事にしたいですね。
田尻惠保様: 日本人が持っているものの見方、考え方は古来からずっとあったものです。
言葉で表現されるものではなく、風俗や習慣、ライフスタイル等の中に散りばめられているわけです。
宗教には必ず経典があり、教えがあるのですが、そういう意味では経典のない日本の神道が宗教に分類されるのはおかしいということになります。
藤原: 神道は、宗教ではない。私もそう思います。
宗教というのは「教える人」と「教える物」が必要ですね。
神道においては大自然そのものが師ですし、日本人の本来の生き方です。
そしてライフスタイルの中にちりばめられていることとして、子供の頃に「お天道様が見ているよ」といわれたような家庭での教えも、大事にしていきたいと思います。