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素晴らしい日本人に聞くシリーズ

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第六章『幸せに導かれるお釈迦様の知恵』

管主様: 地球温暖化が進んで、今までに無い現象が次々に起きています。人間社会を見ても次々と想像も出来ないような事件が起きています。天候も荒れていますが、世の中も荒れています。人の心も荒れています。物は豊富にあってもけっして豊かとは言えないのが、今の世の中ですね。

藤原: これは日本だけでなく、世界的な問題ですね。食品なども豊富にあるようでも、実は形だけで、食品偽装でごまかしたものや、実は身体に良くないものが多く出回っているようです。そんな中で、人の身体や心に良い仕事に取り組めるよう心を切り替えていくのにはどうしたらいいでしょうか。

管主様: 心を豊かにするには、「般若波羅密多(はんにゃはらみた)」や「六波羅蜜(ろくはらみつ)」を実銭する。人に施しをする。施しをするのは何もお金や物だけではありません。精神的なものを求めて人と関わり施す気持ちが、心を豊かにしてくれるのだと思います。

先日、株投資のトレーダーの方に会いました。五回のうち一回くらいは大変な損をするが、二回に一回ぐらいはすごく儲かるのだそうです。ところが毎日数字のことだけを考えて暮らしているうちに、心が疲れてきて、仏教にひかれたとおっしゃいます。

お経を全部覚えていらして、何もないときには一生懸命唱えるのだそうです。その時には、株が上がった下がったで一喜一憂している世界を忘れられるとおっしゃっていました。四六時中あの株が上がった下がった、儲かった損したということで仕事をしている。わーっと儲かったら次はすっからかんになっているかもしれない。

精神的にいつもギリギリのところにおられるのではしないでしょうか。大変なお仕事だと思います。ですから全く違う世界である、宗教的なことに心がひかれるというのもわかるような気がします。

そこまででなくても、今の社会は効率主義、成果主義です。だからこそ損得を抜きにした布施の心が大切なのです。儲けでなく、人の為に何かをするということが布施ということです。

布施の実践によって、当たり前と思っている効率主義の価値観が、それだけでないということに気づくことになります。ものごとが深く見えてくるようになります。それこそが知恵の習得なのです。

藤原: それによって心の眼が養われていくのですね。物ごとを深く見るために、人の為に何かをするという布施の実践をしていくことの大切さ、それは日本人が本来持っている素晴らしい面を呼び覚ますことでもありますね。

管主様: 捨ててこそ、わかる真実もあります。

「般若心経」の真髄は「色即是空」です。色というのは、目に見える世界の事ですが、いろいろな意味で今の政治も経済も行き詰まっています。現状の世の中の価値観を、これで良しと思っている人はいないのではないのでしょうか。

しかし、なかなかそのお金や物や地位に対する執着を取ることが出来ない。

大変なお金持ちの方を存じていますが、とてもお忙しいし二十四時間お金のことや商売のこと、会社のこと、儲けることを考えておられる。今までの日本社会ではそういう人が素晴らしいと思われてきたかもしれません。

でも引き際というのがあると思います。そういう世界だけが総てではないのだ、ということにそろそろ気づかないといけないのではないでしょうか。

権力がある。物がある。お金がある。そういうものはなかなか捨てることができない。ずるずると執着し繰り返してしまうものです。外にある価値を一度捨ててみないと実は別の価値はわからないものです。

藤原: 価値は一つではないということですね。しかしお金や物や地位に執着しているとそれが総てだと思って、心豊かに暮らすための別の価値に気づくことが出来ないですね。その価値に気づくための教えをお聞かせ頂けますでしょうか。

管主様: 「般若心経」は自分というものの生き方も説いています。外に「色」の価値ばかりを求めるのではなく、自分の心の中、人生の中にいろいろな価値を作り出していこうという知恵を教えてくれているのです。

知恵というのは聴くことからはじまります。聴いて聴いて聴いて、感じる。私の話を聞けというのではありません。先達の話を聴く。お釈迦さまの教えを聴く。そういう姿勢のことを「聞・思・修(もん・し・しゅう)の三慧(さんえ)」と言います。自分よりももっと苦しんで、自分よりももっと求めて、自分よりももっとまじめに生きてきた先輩方が世の中にはたくさんおられます。

一休さん、西行法師、良寛さん、みんな物やお金を求めたわけではありません。そういうものを捨てて、ひたすら本当の真理とは何であるのかを求めて生きておられました。

藤原: 本当の真理を求めることが、人を謙虚にして道を開かせてくれるのでしょうか。今は、人の話を聞かないで、自分の主張ばかりしている人が多いかと思いますが、素直に聞くのは、まずは相手の心を受け入れるということでしょうか。簡単なようで一番難しいことですが、知恵はまず聞くことから、知恵はまず自我を捨てるところから始まるのですね。

管主様: お釈迦様も王子として何の不自由もなく栄耀栄華に暮らしていましたが、そういう暮らしを捨てて、もっと大きな意味で求めていたもの、願っていたものを見つけられました。お釈迦さまが見つけた仏教の教えが、二千五百年たった今でも生きている、変わることのない真実の世界だったわけです。

われわれは本当に弱いものです。社会やまわりのムードに流されてしまいがちです。みんなが行ったから行く。隣が買ったから買う。みんなが並んでいるので並んでみたら葬式の列だったという笑い話もありますが、みんながやっていることを一緒にしていればよいと思っている節があります。

藤原: 日本人は、特にその傾向が強いと言われています。

管主様: どこかで心を切り替えられるかどうかです。肩書き、お金、ものではなく、精神で自由に心豊かに暮らしていけることが一番幸せなことであると気づいて頂くのが「六波羅蜜」の実践なのです。

藤原: 恐れ入ります。「六波羅蜜」のことをご説明頂けますでしょうか。

管主様: お釈迦さまがお説きになった仏教には、私たちを苦から救うためのさまざまな教えがあります。その中でも私がとても大切だと思っているのが「六波羅蜜」です。

 「六波羅蜜」は、「布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)」の六つの行のことです。これを実践することによりお釈迦さまの智慧と悟りを得ることができるのです。

 一つめの、「布施」の「布」は、「ぬの」という意味ではなく、「あまねくすべてみんなに」という意味です。あまねくみんなに施しをするということです。

施しは物だけに限りません。お金や物を施すのは「財施(ざいせ)」と言い、教えや心を施すことを「法施(ほっせ)」と言います。ですからお金が無くても布施は出来ます。見返りを求めず、相手のために尽くそうとする行為はすべて布施です。自分のためではなく、相手が喜んでくれることをすることが布施の実践です。

人間には百八つの煩悩を持っていると言われていますが、その中心は「貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)」という三毒です。貪り、怒り、愚痴。三毒の中でも貪りの心は特に強いので、「六波羅蜜」の最初に布施が説かれているのです。

そして布施をするときにもっとも大切なのは、見返りを求めないことです。ここで財が無くても心身を通して施せるのが「無財の七施(しちせ)」です。  この七つをご紹介しましょう。

無財ムザイ七施シチセ

眼施ゲンセは『優しいまなざし』

和顔施ワガンセは『笑顔』

愛語施アイゴセは『いたわりの言葉づかい』

身施シンセは『人のために身体を使う』

心施シンセは『哀れと思う慈悲の心づかい』

牀座施ショウザセは『席を譲る』

房舎施ボウシャセは『宿を提供する』

これらを施すことによって、人に喜びを与え、自分の心も豊かになります。優しいまなざしで相手を見て、にこっと笑って、励ましの言葉をかけるなど、無財の七施は誰でも出来ることです。

藤原: 人に対するいたわりが、そのまま布施になるのですね。お布施とは、お寺さんに包むお金のことだと思っている方が多いと思うので、これはぜひご紹介させて下さい。

管主様: 「自分を捨てて、相手に尽くす」ということを大げさにとらえて、「そんなことは自分には無理」と考えず、今、自分が出来ることから実行して頂きたいと思います。小さなことでもいいので、まず、布施の心という種まきをする。立派な土に良い種をまいたら、次々と芽が出てくることでしょう。 「善行の種をまけば、福徳という収穫が得られる」ということから、「福田(ふくでん)の思想」とも呼ばれます。私たち一人ひとりがお釈迦さまの種まきのお手伝いが出来るということです。

藤原: ありがとうございます。日常のなかで、自分にできることからまず実行するということが、気がついたらたくさんの福の種をまくことに繋がる。 私たち一人ひとりが、お釈迦さまのお手伝いが出来るというと大変に畏れ多いことですが、同時にありがたいことだと思います


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