素晴らしい日本人に聞くシリーズ

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第二章 『五十年がかりの伽藍復興』

藤原: 薬師寺様は、歴代管主が何十年も伽藍の復興に取り組んでこられたと伺いました。今、美しい姿に蘇って私たちもその前に立たせて頂いていますが、今日に至るまでのお話をお聞かせ頂けますでしょうか。

村上管主: 薬師寺は七堂伽藍といって七つの大きなお堂によって構成されております。しかし、過去の歴史において東塔以外はすべて焼失してしまい、五十年前から歴代管主によって伽藍の復興に取り組んで参りました。それを実現するために大きな役割を果たしたのが、故高田好胤師です。

「お写経勧進による白鳳伽藍復興」を始め、薬師寺の信徒代表である豊田章一郎さん(トヨタ自動車株式会社名誉会長)や、多くの方々にお写経をして寄進頂きました。薬師寺の伽藍復興は今も続いていますが、その力になっているのは、全国の皆さんから寄せられるお写経です。

昭和五十一年に金堂が、今年五月には食堂(じきどう)が完成します。七堂伽藍を復興するのに五十年かかりました。

伽羅復興について

藤原: 五十年かけられたということですが、歴代管主が次々と志を受け継いでいくことの素晴らしさを感じました。「日本人は、先代の志を受け継いでそれを成し遂げていく」という私の師の言葉が浮かびました。

人の身体はこの世から無くなっても、魂のリレーといいますか、志の絆は生き続けて形にしていく、この素晴らしさを次世代へ是非繋ぎたいと思います。

 

お写経を通じて、伽藍の復興に取り組まれたのは、何か意味がおありなのでしょうか。お写経についてお話し頂けますか。

村上管主:薬師寺は天武天皇の発願されたお寺です。その天武天皇が天皇になられて最初にされたことがお写経なのです。ですから、そのお写経で薬師寺を復興したいという私たちの想いの背景をおわかりになって頂けるかと思います。

藤原: 常に原点に立ち返って、進めておられるのですね。素晴らしいです。私たちも、何かを復興していくときの大切な心構えとして心したいと思います。

村上管主: お写経とは、お釈迦様の教えである経典を写す修行です。印刷機が無かった時代ではお経を和紙に書き写すことで経典を学んでいました。お経は文字を見るだけでも功徳があり、声に出して唱えるとなお功徳があり、さらに一文字一文字お写経をすれば、より大きな功徳があると言われています。

お写経をおこなう経典は、薬師寺では『般若心経』『薬師経』『唯識三十頌』の三つのお経を用意していますが、一般的には『般若心経』を用います。『般若心経』は、この世はすべて「空」であると説き、その空をどのようにとらえ、考えていけばいいのかということが書かれています。

空とは、高田好胤師が提唱された
かたよらない、こだわらない、とらわれない心」であり、非常に広くて深い心のことを「空の心」と言います。

お写経は、ただ経典を写すことが目的ではありません。心を安らかにし、豊かな気持ちで生活するためにお写経をするのです。

藤原: お写経は、お経の意味を知らなくても大丈夫なのでしょうか。

村上管主: 「お経に書かれていることがわからないのに、書き写しても意味がない」と思う人がいるかもしれませんが、それは間違いです。

もちろん、お経の教えを理解した上でお写経をするのが本来の姿でしょうが、そうでなくても、続けていくうちに、体でわかってくることがあるはずです。

それは毎日同じ動作を繰り返しているうちに、心や意識が段々と深まっていくからです。

お写経も毎日続けていくうちに「仏さまに守って頂いているんだな」とか「お写経をしているからこんなに心が穏やかなんだな」という思いが、ふっと湧いてくる。

まわりは何も変わらなくても、自分の心の持ち方が変われば「ありがたいな」「しあわせだな」という気持ちになっていくのです。

どんなに経典を学び、頭の中だけで理解しても、それは単なる知識に過ぎません。それよりもお写経という行動を通じて、自分の実感として得る気づきが大切なのです。

実際にお写経を続けていくと、意識も変わっていきます。

最初は自分の願いごとを書いていますが、自分が悩んだことを克服して乗り越えていく間に「家族そろって健康でいられますように」「世界が平和でありますように」と願いごとが家族のため、地域のため、世界のためと、だんだん広く深く正しくなっていくでしょう。

そういう境地に達することがお写経の意義だと考えて、皆さんにお勧めしています。

お写経の様子
(お写経の様子 写真提供/薬師寺)

藤原: そんなに深い意味がおありだったのですね。お写経を通じて、仏法の種まきをしながら、その功徳で伽藍の復興に繋げていかれる。素晴らしいです。五十年かかったといわれましたが、その間に全国の方の心の中に、たくさんの幸せの芽が芽生えておられるのではないでしょうか。

村上管主:近く食堂(じきどう)が完成します。東塔の修理は、二千二十年に修理が完了する予定です。東京オリンピックまでに仕上げなければなりません。国や奈良市にもお願いをしています。

金堂や食堂は奈良のお寺の特徴ともいえますが、食堂は食事をする場所ということだけではなく、勉強をする場所でもあります。ここでお坊さん同志がディスカッションして、研修する場所として使っていただきたいと思っています。

こうしてできあがった建物に魂を入れるのが、新たに管主となった私に課せられた役目と思っています。

藤原: 素晴らしいです。何代にもわたって復興を続けられてきた七堂伽藍に、今、村上様が魂を吹き込まれようとしていらっしゃるのですね。「あおによし……」と歌われる奈良の都に、新たに蘇った薬師寺様のこれから日本人の心の依り所として、大勢の人がお参りされることと思います。

村上管主: 奈良の古寺は、お墓もありませんし、檀家も持たないのでお葬式も行いません。だからこそ〝場〟を提供して、いろんな人に集まっていただき、仏教の教えを勉強してもらうことが私共の使命だと思っています。

昨年、いくつかの奈良の大きなお寺で管主が変わられたこともあり、奈良全体で力を合わせて行かねばと思っています。

ただし私は、奈良のお寺は脱観光を目指すべきではないかと思っています。

今の日本は観光立国になろうと国を挙げて一生懸命になっています。ですが観光客の数、ホテルの数、観光施設への入場者数、売上高と数字ばかり追いかけています。きりがありません。これは物の豊かさばかりを追う、今の日本人の悪いところです。

かつて和辻哲郎さんが『古寺巡礼』を亀井勝一郎さんが『大和古寺風物誌』を書かれたように、日本を学ぶ、歴史を学ぶという姿勢で取り組まなくてはなりません。

そして日本人本来の優しい心、美しい心を取り戻して欲しいのです。

藤原: そうですね。数字ばかりを追いかけると、心がギスギスして、ゆとりを失いますね。

村上管主: ですから奈良のお寺は、脱観光を目指すべきだと思うのです。

重要なのは参拝者数ではなく、奈良や寺院の真の魅力を知ってもらうために心を込めたことがきちんとできるかどうかであり、ひいては仏教の教えを広めることだと思います。

二千五百年前に生まれた仏教は、今も多くの人々の心の糧になっています。これからも、国境を越え、同じアジアの一員として、薬師寺はお釈迦さまの教えを広めていく発信基地の役割を担っていきたいと願っています。


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