素晴らしい日本人に聞くシリーズ

撮影:光
小杉造園株式会社 代表取締役 小杉左岐様 プロフィール

昭和二十一年、江戸時代から農業を営んでいた小杉家に生まれる。
大正時代に造園業にも参入した「植木屋の三代目」として家業を継ぎ、昭和五十三年法人化に踏み切り更に事業を大きく発展させていく。平成十五年、技術、技能を伝えていくために熱海研修所を開設。平成十九年ユニバーサル技能五輪国際大会・造園部門で金メダルを獲得。平成二十一年アゼルバイジャン政府の要請で都市公園の中に日本庭園を造る。同年黄綬褒章受賞。毎年数十名の海外研修を実施し社員教育に力を入れる。日本庭園のみならず、日本文化を海外に知ってもらう活動も展開。

第1章 『誇り高い職人であるために』

藤原美津子: 今日は、国際的に日本庭園を次々と造られ、民間の造園外交として素晴らしい活動をされている、小杉造園株式会社の小杉左岐社長にお話を伺います。

国王や大統領などもご覧になる、トップレベルの日本庭園を、気候や素材などもそれぞれ異なる海外で、次々に造っていかれたお話をお聞き出来ることをとても楽しみにして参りました。

また、技能オリンピック(以下オリンピック)で金メダルを受賞されたことも、職人さんに誇りを持って貰いたいとの熱い思いからだったと伺っています。


蘇れ日本人の会 会長 藤原美津子

さっそくですが、オリンピックに挑まれた時のお話からお聞かせいただけますか?

小杉社長: 働く職人の雄姿を日本中に伝えたかったのです。今は、庭も日本庭園を新しく作ることはまずありません。仕事量が減れば、私たちが親方や先輩から習ったものを、現場で受け継ぐことが出来ません。 日本庭園の仕事さえあれば、若い人たちの勉強になります。

藤原美津子: 仕事をしながら覚える場がないのですね。

小杉社長: そうです。私は「職人の社会的地位を上げる」ことに力を入れています。どうしたらいいかと考えて、オリンピックに挑戦することにしました。

藤原美津子: 具体的に結果を出して、知られることは必要ですね。


小杉造園株式会社 代表取締役 小杉左岐様

小杉社長: 頑張っているということを世間の皆様に知っていただきたい。その評価を、オリンピックに置き換えたのです。

藤原美津子: すぐに金メダルを取ることが出来たのですか?

小杉社長: 最初に挑戦した時は、四位でした。これで有頂天になりすぎて、次は七位、その次は国内三位だったので、日本代表にもなれなかったのです。

そこで、トヨタさんなどが実施しているオリンピックへの英才教育を取り入れました。中小企業で英才教育は大変なのですが。

 

藤原美津子: そのために熱海に研修用の寮まで建てられたとか・・・

小杉社長: そうです。

藤原美津子: オリンピックに出られたのはおいくつくらいの方ですか。

小杉社長: 参加資格が二十三歳未満ですから、大卒では無理です。高卒で三年、実際に大会に出るまでには四年ありますが、英才教育をしなければいけません。

そうした諸費用を合わせると、当社で(寮とは別に)四千万強かかっています。中小企業では本当に大変なことです。

藤原美津子: どんな英才教育をされたのですか?

小杉社長: ほとんど仕事の人員には入れず、落ち着ける環境で、朝から晩まで石割なら石割、勝つために三年やりました。

藤原美津子: 二人で組んでやるのですか?

小杉社長: そうです。一日五.五時間を四日間、合計二十二時間の中で、与えられた図面を理解して、板石を寸法に合わせて割ったりなどして、七メートル×七メートル、四十九平米の庭を作るのです。石を割るというのは、日本では石屋さんの仕事ですが、海外では、みんな植木屋がやっているのです。

藤原美津子: それが、オリンピックの項目中にはいっているのですか?

小杉社長: 入っています。

藤原美津子: じゃ、それをやらないと勝てないのですね。社長さんの決断がなければ出来ないですね。

小杉社長: 本田宗一郎さんのように、とにかくトップを獲ろうというチャレンジ精神が大好きなので。職人が世界一になれば違ってきますから。

藤原美津子: 職人の地位を上げたいと思う方は他にもいらっしゃるでしょうが、小杉社長はそこで何をしたらいいだろうかと実際に工夫されたわけですね。

小杉社長: 社員にも、「出来ない」とは絶対に言わせません。「工夫しろ」と言うのです。工夫すれば、お金はかかるかもしれないけれど、出来ないことはない。出来ないと言ったら、植木屋としての技能はそこまでだと思われてしまいます。

一例ですが、一昨年、マンションの中庭に面した八階部分の廊下に、ヒマラヤ杉の大木が直撃してしまった。場所が場所ですから、クレーン車も入りません。この大木の処理を四社が断ってしまったわけです。

私はその時ブルガリアにいて知らなかったのですが、当社に作業依頼があり、当社の社員が引き受け、どうやったら安全作業で二次災害を防ぐことが出来るか、知恵をしぼりました。

出した結果は足場を組むこと。八階までその木に沿って全部足場を組み、細かく切り、吊りおろし作業をしました。全部手作業なので、安全第一に出来ました。

藤原美津子: チャレンジ精神をもって工夫し、成し遂げるという精神が、会社に流れているのですね。

小杉社長: 私がしっかりしていないと、社員がしっかりするものです。

藤原美津子: とんでもないです。こうして育てていかれた成果なのですね。

小杉社長: 私がやることは突拍子もなく、お金をかけてしまうので、総務が大変ですが、これからも職人にプラスになることをやっていきたいと考えています。

そして、海外でも「当たって砕けろ!」の精神で、オールジャパンで海外に日本の文化を広げたいですね。それが将来にわたって日本の宣伝になりますから。

藤原美津子: 素晴らしいですね。


小杉社長: オリンピックに十年間挑戦をして、最後の三年は英才教育を実施しましたから、中小企業では絶対考えられないようなお金がかかりました。 でも、多くの皆様のご協力とご指導をいただいたお陰で世界一になりました。

藤原美津子: 外国の人も、一斉に認めてくれたのですからね。

小杉社長: ええ、十年も続けて挑戦していたから、海外のトップレベルの業界の人たちは、「日本」というと「Kosugi」と覚えていただいています。「あいつ、とうとう一番になった」ということで、海外の同業者からたくさんの祝福をいただきました。

やる以上は、チャレンジに次ぐチャレンジで、トップを取るということは、とても素晴らしいことだと思っています。本田宗一郎さんや松下幸之助さんのチャレンジ精神のおかげです。運も味方について、社員全員が協力して頑張ったので、世界一になれたのだと思います。

藤原美津子: あれだけ何年も挑戦し続けて、それを、理念にされたというのはすごいなと思います。

小杉社長: 諦めてしまったら、最初にかけたお金が、勿体ないじゃないですか。正直、金メダルを取るまで何年かかるのだろうと思いました。最初取ろうと思い始めて約二年、実際に挑戦を始めて、八年目で世界一になったのですが、途中には、日本代表にもなれなくて、挫折したときもありました。

でも、何故勝てなかったのだと考えて…それで、大手メーカーさんを参考に英才教育の実践をするに至ったのです。中小企業でも〝勝つ〟には英才教育に資金の投資が必要だったのです。

藤原美津子: 教育に力を入れると、そんなに違うものですか。

小杉社長: 違いますね。メダルを取れる保証がない大会に投資するのに反対がありました。でも挑戦し続けたお陰で、職人の社会進出も認められました。実はこの四年、お陰様で公の賞を貰い通しなのです。

藤原美津子: すごい、どんな賞ですか。

小杉社長: 平成二十三年に東京商工会議所から、『勇気ある経営大賞』で、大賞は取れなかったのですが、優秀賞をいただきました。でも、大賞じゃないのに、「商工会議所でプレゼンターをやってくれないか」とお話があり、業界の宣伝にもなるので出させていただき、光栄でした。

藤原美津子: やっぱり、見る人は見ているのですね。

小杉社長: 翌年に、東京都の信用金庫協会の『夢づくり大賞』でトップをいただきました。昨年は『東京都中小企業技能人材育成大賞』と続き、お客様や協力業者、社員に感謝でいっぱいです。

藤原美津子: 十年先を練って人を育てて来られて、ちょうど、実を結ぶ時期にあたって来ているのかもしれないですね。

小杉社長: ありがたいことです。おかげで、世界からもお呼びが掛かって来ています。
マスコミを始め、多くの取材を受けて、ありがたい事です。評価していただいたことは仕事一筋の職人にとって、励みになりました。

藤原美津子: 取材されたものを社内の壁中に貼っておくとか・・・

小杉社長: はい、そうですね。一例ですが、全国の小学校の図書館に「将来目標のある人間になろう」と言って、職人さんを紹介している本を企画している出版社があり、社員がオリンピックで世界一になったことなどを八ページも使って紹介していただき、子供たちからも造園に興味を持ってもらっています。

藤原美津子: なるほど、そうですか。

小杉社長: 環境を造る植木屋という商売が、小学生やお母さん方に広く認知されればありがたいですね。

藤原美津子: そうですね。どういう職業が世の中にあるかというのは、子供は意外と知らないですよね。

それに、私が子供の頃は、「進学できないから家業を継ぐ」というような教育を受けていたせいか、周りにもお蕎麦屋さんの子とかお茶屋さんとか親が家業を持っている子が多かったのに、殆どが店を畳んでしまったのですね。

もし、その時に「親の職業を継ぐということはものすごく大事なことなのですよ、仮に今、傾きかけていたとしても、親の志とは一代で果たせるものではないのだから、必ずそれを引き継いで、あなたたちの代でより発展させて行きなさい。」ということを教えてもらっていたら、今頃違っていたと思っているのです。

だから、蘇れ日本人の会では、「親の仕事の後を継ぐ、志を継ぐということは日本人にとって、ものすごく大事なことなのです。」ということも提唱しているのです。そういうことをもっと広めていきたいと思っているのです。


小杉造園の先代の遺作の滝庭のあるお宅にて

小杉社長: それを聞いて、凄く感謝いたします。やはり、農家の息子さんと同じで、植木屋も継ぐ人間が、三分の一くらいだと思います。

藤原美津子: それから、「会社が繁盛した後に引き継いだ人」というのは、つい油断してしまい、会社を衰退させてしまうことが多いと思うのではないかと思うのですが、逆に、今ちょっと停滞しているかなという時に、「おやじに会社を潰させるわけにはいかない、だから僕が後継ぐのだ。」という思いで引き継いだ人の方が、なんらかの形で会社を大きくしているようなのです。

小杉社長: どの職業もそうですけど、親の後を継ぐ前に、外で三年くらい違う職業を経験した方がいいと思っています。

藤原美津子: それは大事ですね。体験してきてもらってそれを後に生かす。

小杉社長: そうです。職人家系だったら、一般の会社で顧客の為、会社の為に働くことが、自分の為であることを学んでもらいたいのです。

『日本という文化を伝えるべく』

小杉社長: 今、いろいろな国の人が日本庭園の真似をして〝ジャパニーズガーデン〟で商売をしていて、ひどい庭がたくさんあります。私は真似をされないように、〝朱色の鳥居を日本のシンボル〟としました。

藤原美津子: 外国の人には出来ませんものね。

小杉社長: 韓国や中国の方がアメリカ等で、日本庭園で商売しています。韓国の業者の方には、韓国の古い庭には、必ず、正方形か長方形の池があります。それを上手くアピールして「これが韓国の庭だ」というものを作るよう提案しています。

藤原美津子: やはりその国の特徴を出した方がいいですものね。

小杉社長: ですから、「日本のシンボル」である朱色の鳥居を世界の国々で建てさせていただいています。

四千平米のバーレーンの庭には、七メートルある大きな鳥居を建て、また、大きな池の中のバーレーンの国と日本の国を飛び石でつなぎ、渡れるようにしました。

藤原美津子: 友好の証を示しているのですね。これは現地の材料で作られたのですか。

小杉社長: 日本で作って、日本から送ったのです。バーレーンという国は砂漠の国ですから、水が少ないのです。だから逆に、植物園で水をふんだんに使い、来園者に憩いの場になるよう計画しました。

藤原美津子: 素晴らしいオアシスですよね。日本だと、湧き水もあるわけですから、特別気がつかなかったのですが、そうですね。砂漠の国ですものね。外国にこういう日本庭園があるというのは、素晴らしいですね。


バーレーン日本友好庭園 [出典:外務省ホームページ (http://www.bh.emb-japan.go.jp/japan/topics.htm)]

小杉社長: アゼルバイジャンの公園にも、「日本のシンボル」として、朱色の鳥居を入れています。

こうしたことで、日本を宣伝することが出来るのではないかなと思っています。中国や韓国にも日本の灯篭と似たような形のものがたくさんありますので、外国の方には違いがわからないですからね。ヨーロッパの人などは、アジアの庭だと一括りで考えるようですので、アイポイントにしています。

藤原美津子: 鳥居があれば日本の庭園だということなのですね。

小杉社長: 東京・世田谷にある東京農業大学は、OBに植木屋の方が多いのですが、講演を頼まれた時には「海外で庭園を作る時は必ず鳥居を入れてください。相手の国の国民が理解出来る日本庭園、各国の文化に合わせ、維持管理出来る日本庭園が必要です」と話し、理解を求めました。

藤原美津子: 相手の国の文化に合わせるためにどんな工夫をされているのですか?現地に行ってから決められるのですか。

小杉社長: 例えば、その国に植木の手入れの文化がなければ、植栽して長い間、手入れをしなくても済む、モミジや桜の木等を考えるというようにしています。


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