社団法人日本国際青年文化協会
会長 中條高徳様
日本の男の中の男のような藤原さんが、『混迷する世の中をどう生きるか』を上梓された。地球上で自然と最も融合した営みをしてきた民族が日本人であった。 全てを自分より「上」と把え、それを尊崇してきた。
たまたま襲う天変地変さえ、神の制裁と謙虚に受け取り、自分の汗で豊年万作になろうとも「神の恵みぞ」と感謝してきた。
まさにお祭りの発生である。
練炭火鉢の一酸化炭素で死にそこなった藤原さんは、
「私の人生は小学4年生で終わった」と告白し、「生かさせて頂いている」につながり、彼の芯の強さとなっているのだろう。
誰にでも両親があり、祖父母がある。子供があり孫がある。
つまり、これが縦軸である。
縄文の時代から稲作の日本人は、田植えでも、村の鎮守の祭でも、隣近所総出でやってきた。つまり横軸である。 この縦軸、横軸の織り成す布の如き日本民族なのだ。
藤原さんの「お天道様が見ているよ」が日本人にとって極めて自然に受け入れられるのだ。 「天知る、地知る、己知る」と「慎独」の大切さと恥の文化に論が及ぶ。
「太陽は周囲を照らし与えるだけ」と、人の長たる者への教訓として地利(盥の水の理)を説かれている。
又、8世紀頃の「中今の思想」を説いておられるのも注目に値する。
「今に生きろ」ということだ。 ジョセフという哲人が「神は富める人にも、貧しき人にも、賢き人にも愚かな人にも等しく24時間という時間を与え給うた。過ぎ去った時は賢人と雖も掴むことは出来ない。
又やがて来る24時間も富める人でも掴むことは出来ない。勝負は今の24時間をどう生きるかで定まる」
と説いているが、藤原さんの説く「中今の思想」そのものだ。
政教分離が、わが国で物議を醸しているが、「祭政一致」ということの中には、
先述したように、自然との間を釣り合わせるという意味を持つ。
この調和、間釣り合わせは、人が自然と共生する上で大きな意味を持っている。自然の力を恵みと受け取るか、脅威として恐れなければならないか大きな違いである。この様に、日本人のあるべき姿が真剣に説かれている。
嬉しいことに仲のいい奥様と同時出版をなさると聞く。
めでたき哉。偉なる哉。